宝塚観劇の日々

宝塚と観劇の日々

宝塚を中心に観劇の感想などを備忘録的に。。。

ミュージカル『パレード』を観劇して

4年前の初演時に評判が良かった舞台で、その時は機会に恵まれなかったので今回再演されると聞いてチケットを入手したのですが。。。。

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物凄いざっくりとしたあらすじしか知らない状態で観劇に臨んだので、幕が降りた時にその結末が受け止めきれず観劇から数日たった今でもこのお話のことを考えてしまいます。

 

アメリカで人種差別がいまだ根強く蔓延っているのは、昨年大きく取り上げられたBLMをはじめニュースなどで知ってはいたのですが、黒人差別と同様にユダヤ人に対する差別(妬み)があったとは知りませんでした。

 

私はほんの少しの間ヨーロッパに住んでいたことがあるのですが、ヨーロッパに比べると本当にアメリカには根強く人種差別が(現在進行形で)蔓延っている現実を突きつけられたような気がしました。
この痛ましい冤罪事件が起きたのがたったの100年程度前の事だったとは信じられません。
第2次世界大戦中に多くのユダヤ人が迫害されていたのは知っていました。でも、そんなユダヤの人々が救いを求めて渡った新世界がアメリカだったはずなのに。

 

まだ市民が得られる情報が新聞等しかなかった時代、偏った記事、でっち上げの記事によって犯人に仕立て上げられていくレオを観ているのがツラいのだけれど、それよりも恐ろしいのはその報道にどこか熱狂していく民衆。

特に裁判の場面ではすさまじく。
ひとりの男(レオ)が周りのさまざまな思惑によって、また嘘の証言によって、追い詰められていく。それに熱狂する民衆。群集心理とはなんて恐ろしい物なんだろう。
そして、自分たちが信じる真実と正義だけの為に突き進んでいく。。。

物事はもっと多面的に客観的に考えて、判断しなくてはならないのに。
石丸さんが裁判の最後に唄う歌は、彼(レオ)のまじめで正直な姿を理解するには十分だったと思うのに、そのあとに続残酷な判決。

死刑判決に狂喜乱舞する民衆。それはまるでパレードのよう。

冒頭で舞い散った紙吹雪同様、明るい音楽と明るい場面。

でも、舞台の真ん中に立ち尽くすレオとルシール、そして私たち観客の心情は明るい舞台とは真逆の真っ暗な闇の中にいて。

この後続く2幕で、果たして希望は持てるのだろうかと、考えあぐねながら幕が再び開くことを待っていました。

人種差別は物凄い根深い問題。
冤罪が起きるなんてとんでもない。
日本では欧米諸国ほど人種問題は起きていないけれど、過去には冤罪も起きていますよね。
こういう問題が起きるたびに、私個人としては冤罪によって身に覚えのない罪を追わされてしまった人たちの胸を痛めると同時に、冤罪が起きるということは真犯人はそのまま野放しになっているという事実のほうにむしろ憤りを覚えます。
今回の舞台メアリー・フェイガン事件も、実際の犯人ではないまったくの別人が捕まっていて、真犯人が野放しになっている(かもしれない)という状況を被害者はどう思うのだろうと。
事件が置いてきぼりとなり、事件とは違う、(当時の)南部に広がる北部の金持ち、特にユダヤ人に対する嫉妬や偏見などばかりに取りつかれてしまう状況。。。。


2幕でルシールからの伝言を受け取ったレオのナンバーThis is not over yet(まだ終わりじゃない)
この楽曲がメロディラインも含めて唯一といっていい希望に満ち溢れた場面
見ているこちらも願わずにはいられない。
真実が明かされるのを。

また、スレイトン知事の奥様リリーの「臆病な大統領夫人になるより、勇敢な元州知事夫人になるほうがずっとまし」この言葉がとても印象に残りました。
この作品の中で唯一といって良い希望を持てる言葉。

そして、続くレオ・フランクの減刑を宣言した知事の言葉、素晴らしい演説だったのに群集の声にかき消されて聞こえない。。。
それはまるで、その時の怒り狂った民衆にどんな言葉も届かなかった時を描写しているようで。
明るい音楽とはまったくの真逆の場面。


レオとルシールが刑務所の中だけど、そこでピクニックをしながら、きっと真実が希望が先にはあると信じて歌うAll the wasted time(無駄にした時間)
思えば、レオが有罪になってからの2幕からのほうがレオとルシールの二人の絆は強くなってる気がする。
ただ、舞台を観終えてからこの場面を振り返ると、後に続く結末を知っているだけにひたすらツライ。
希望が見えた気がする場面だったからこそ、ツライ。



自分たちが信じることしか真実と認めない、自分の信じる正義の為に行動する人たち。
それは本当に善意の行動なのだろうか。


舞台最後に、舞台冒頭と同じ楽曲が流れるのですが、そのメロディや歌詞は希望に満ち溢れているように見えるけれど、この結末を観た後では全く違うものに感じられて
美しいメロディだからこそ、残酷な面が直に胸に突き刺さる。

 

群集心理が時に大きな過ちを犯してしまうことを、過去になんども私たちは経験してきているはずなのに、なぜ私たちは同じような間違いを繰り返してしまうんだろう。
人間は誰しも違っていて、その違いを認めながら共存していくべきなのに
なぜ偏見や差別は起きてしまうのか

ぐるぐると結論が出ない答えを考えて過ごしています。


観劇するには覚悟がいる作品。
でも、決して見なければよかったとは思いません。


無知な私はこの事件について全く知りませんでしたし、人種差別について考えたり、事件にまつわる記事を調べたりするきっかけにもなったからです。



レオ・フランク:石丸幹二
ルシール・フランク:堀内敬子
ブリット・グレイグ:武田真治
ジム・コンリー:坂元健児
ローン判事:福井貴一
トム・ワトソン:今井清隆
ヒュー・ドーシー:石川 禅
スレイトン知事:岡本健一
ニュート・リー:安崎 求
フェイガン夫人:未来優希
フランキー・エップス:内藤大希
ルーサー・ロッサー:宮川 浩
サリー・スレイトン:秋園美緒
ミニー・マクナイト:飯野めぐみ
メアリー・フェイガン:熊谷彩春


素晴らしい熱演でした。
善意が暴走する姿が見えた気がしました。


そして、プログラムの裏表紙の言葉

THIS IS NOT OVER YET

事件の事、現在にも続いている事
いろいろな意味で、ツライです。


作:アルフレッド・ウーリー
共同構想及びブロードウェイ版演出:ハロルド・プリンス
演出:森 新太郎
作詞・作曲・翻訳・訳詞・振付・音楽監督
作詞・作曲:ジェインソン・ロバート・ブラウン
翻訳:常田景子
訳詞:高橋亜子
振付:森山開次
音楽監督前嶋康明

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