宝塚観劇の日々

宝塚と観劇の日々

宝塚を中心に観劇の感想などを備忘録的に。。。

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)」観劇

ポスターが公開されたときに、あまりのカッコよさに興奮が止まらなかった「ワンスアポンアタイム(以下ワンス)」を観に行ってきました。  

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基本的にいつもは最初の1回目を書いた後に感想を書いているのですが、今回は2回目の観劇を終えたところでの感想となります。(ネタバレ含みます)

1回目はお正月期間中に観に行ったので少し前になるのですが、なんて言うか、初見ではこの作品に対する感情がうまくまとまらなかったんですよね。

ポスターと制作発表があまりに良すぎて期待値が上がっていたのも、いけなかったのかもしれません。

 
1幕プロローグのスーツ姿の銀橋にずらっと並んだ男役たちの場面とか、カッコイイ場面も満載なのですが、なんていうか、私、個人的にやっぱりこういう時代のお話とか元々あんまり好きじゃないんですよね。たぶん。
思い返してみたら、映画「グレート・ギャツビー」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」とか、好きな作品じゃなかったし。苦笑

もしくは、本作のオリジナル映画は、時間軸が交差する難解な展開で、それがまた高い評価を得た一因だったかもしれないことを考えると、まぁ舞台でそれをするには映画よりも難解すぎるというのは理解できますが、ほぼ時間軸通りにお話が進んでいったり、また、宝塚には『すみれコード』なる夢の舞台宝塚にはそぐわしくない設定などを排除する習わしみたいなものがあるらしく、その『すみれコード』により、オリジナル映画ではあるような場面や設定が、ややまろやかになってしまい、ギャング物にある毒気が弱くなってしまったのも、今回の舞台を観てどこか物足りなさを感じてしまったのかな?と思います。

それでも、1回、2回と観劇を重ねる度に、物語に対して新たな感情(感想)だったり疑問だったりが湧き上がってくるので、『何度も噛みしめたくなる』いわゆるスルメ曲のような作品なのかな。


ヌードルス(望海 風斗)
少年時代のヌードルスは可愛らしいくてギャングの手下なんだけど、どこかあどけない。それでも刑期を終えて出所する頃には、立派な『男』に成長していて。
そんな中でも、初恋の人デボラに対する想いだけは変わらず、ハリウッドの大プロデューサーサムに対抗してリムジンを用意したり、高級レストランを貸切ったり。
薔薇の部屋を用意したり。
なんてロマンティックなだろうと、思わず思ってしまいそうになるのですが、よく考えたらそれを拒絶するデボラの方がもっともというか。理解できるというか。
だって、今ヌードルスがデボラに与えたものはすべて何かしら犯罪を犯して得たものだろうし、それを陽の当たる世界で成功しようとしているデボラが拒絶するのはしごくまっとうなことだと思う。
デボラに拒絶されて自分自身で用意した薔薇を引きちぎりながら歌う、1幕最後だいもんの『愛は枯れない』が素晴らしすぎて1幕のこの場面は何度も観たくなるんだけど、でも、やっぱり私にはヌードルスに心を寄せることはできないかな。
(それにしてもあの場面でのだいもんの色気は凄い。ハンパない)
デボラへの想いというかデボラの気持ちが理解できないヌードルスに対しては(お歌は勿論最高に素晴らしかったけど)共感することはできなかったけど、2幕でマックスを裏切る事(=強盗計画を密告する)を思い悩む場面では、友人想いなヌードルスだからこそ、この場面でのお歌では胸が苦しくなるほど彼の想いを感じられた。

デボラ(真彩 希帆)
ヌードルスが暗闇で生きる「陰キャラ」だとすると、ブロードウェイやハリウッドでの成功を夢見るデボラは「陽キャラ」。でもいわゆる、ウザい陽キャラではないし、デボラの生き方はしごくまっとうで理解できる。ただ、そんなデボラが最後にべイリー長官の愛人でいることを選んだことには若干違和感を感じるけれど。
というか、最後の壮年期時代のデボラがあまりに変化がなさ過ぎて若干違和感が。
まぁ、ほぼ引退しているとはいえ元女優だし、女性だからお化粧とかで綺麗なままを保っているのかもしれないけれど、ヌードルスやマックス、キャロルたちと比べると青年期時代のデボラとさほど外見が変わっていないのが、ちょっと残念。
まぁ、宝塚だし、難しいのかもしれないけど。
1幕でブロードウェイのスターとして大階段のど真ん中で歌う姿は流石っという感じですが、その反面、ストーリー上致し方ないとはいえ、2幕での出番があまりないのが残念と言えば残念。
そんな中でも、そう多くはないデボラのナンバーの中で、2幕の記者会見後でデボラが唄う『皇帝と皇后』が、1幕の少女時代に聴かせた時とはまったく印象が違うナンバーになっているのが切ない。
私、きぃちゃんの歌声凄い好きなので、もっと彼女のお歌を聴きたかったな。

マックス(彩風 咲奈)
アポカリプスのオフィスの場面でのカッコ良さはえぐいね。
宝石強盗する場面とかいわゆる覆面とかじゃなくて、スカーフで顔を隠す強盗なものだから、こんなカッコイイ強盗いる?!って感じ。苦笑
情婦であるキャロルを平気で殴ったり、男として最低なヤツで、キャロルの事も愛してなんていないんじゃないかと思えてくるけれど、最後にキャロルを終身ケアするところをみるとマックスなりのやり方ではあったけれど、愛していたのでしょうか。
連邦準備銀行の襲撃では、マックスはやはりヌードルスの裏切りを知っていたのだろうか。いや、知っていなければロッカーのお金の件とか説明がつかないし、ヌードルスが警察に電話した直後にあそこにああやっていたのがすべてを語っているんだろうと思う。でも、あんなにも仲間を大切にしていた(それは少年期でドミニクが殺害される場面からでも想像できる)マックスが、自分は勿論アポカリプスの仲間が死んでしまうかもしれないのに、そのまま強盗を決行するだろうか?
もしかしたら、マックスはヌードルスの企みに気づいていて、でも、どこかで気づかないふりを、ヌードルスの事を信じていたのだろうか。

ジミー(彩凪 翔)
一見すると労働者を率いるまっとうなリーダーかと思えたのですが、2幕の壮年期で再び現れることには、ジミーが一番の黒幕というか、巨悪なのでは?と思えてくる。
マックスとはお互いに利用しあう関係だったのだろうけど、ジミーの方が上手というか容赦ない。
そう思って2回目以降に観てみると、確かに一般市民と呼ぶにはふさわしくない言動がよりみえてくるんですよね。
壮年期も入れればヌードルスよりもジミーの方がマックスとは長い付き合いになるんだろうけど、ふたりの間にはビジネス上のパートナーという関係以上のものがなく、だからマックスの事も容赦なく切り捨てる。
ジミーもヌードルスも、マックスに懇願されても彼を殺しはしないけれど、その理由は明確に違いますからね。

キャロル(朝美 絢)
マックスが経営するスピークイージー(もぐり酒場)の歌姫で、マックスの情婦でもある。マックスを愛していて彼のことだけを想い行動するんだけれど、それが悲劇を呼んでしまうきっかけとなる。そのことが重すぎる記憶となって、記憶を失ってしまうらしいのですが、記憶喪失なだけで精神病患者ではないはずなのに、サナトリウムでのキャロルは外見が病み過ぎている気がする。それとも、それくらいの年齢なのだろうか。
どちらにしろ、デボラと対比が大きすぎる気がする。(まぁ、ある種それを狙っているんだろうけど)いくらキャロルとデボラが過ごしてきた日々が違うものだとしても。
普段あーさは、男役なんだけれど、雪組が誇る美形なだけに女役をしてもとっても綺麗。ちょっと迫力がある美女って感じ。
でも、歌声とか聞いているとやっぱり、あーさは男役の方が合ってると思えてきました。

ファット・モー(壮年期)(奏乃はると)ファット・モー(少年期・青年期)(橘幸
ヌードルスやマックスなどが少年期から壮年期までを同じ生徒さんが演じている中で、なぜかファット・モーだけは演者が変わるんだけど、にわさんと、たっちーは全然顔立ちも似てないんだけど、なんだかふたりがそれぞれの期を演じているのが凄く自然なんだよね。

コックアイ(真那 春人)パッツィー(縣 千)
大人になってもハーモニカを離さないコックアイ。そんなところも好きだよ。笑
コックアイと、パッツィーは、きっとロウアーイーストサイド(移民が集まる貧困街)出身でなければ健全な好青年となってそうなふたり。
まぁ、そんな一見すると普通に見える少年(青年)でも、育った環境がいかにその後の人生に影響を与えるかが良くわかるといえばよくわかるんだけど。
しかし、このアポカリプスの四銃士にまなはると縣君が入ってくるってのが、ふたりともそれぞれ違う意味で凄い。
まなはるは去年の別箱公演「20世紀号に乗って」での扱いもすごく良かったし、縣君は新公主演こそここ数作逃してるけど、着実に本公演での扱いは上がってるもんね。

ニック(綾 凰華)
今作を観ていて、ある意味私の心のオアシス的な。笑
ロウアーイーストサイド出身でも、ものすごく野心があるわけでも危ない橋を渡るわけではないいわゆる好青年。
デボラと一緒にいたせいも少なからずあるのかもしれないけど、それでも自分の才能(=作曲)で、ちゃんと成功していくし。
でも、よく考えると、最初の登場シーンからして、ニックはヌードルスたちと比べると割と良い恰好をしているし、ロウアーイーストサイドの中でもどちらかといえば恵まれた環境で育ったんじゃないかと思える。

ドミニク(彩海 せら)
少年期でのヌードルスたちの仲間のひとりで、少年時代のギャング時代にある種抗争というか縄張り争いによって刺殺されてしまうお役。
現在のヌードルスが少年期を振り返る場面で、ドミニクが現れることによって、いっきに少年時代に連れていかれるのだけれど、それって、彩海くんが可愛らしくってまだまだあどけないからですよね。
期待されてる生徒さんなんだろうなぁ~って思うけど、可愛らしいお顔が逆に仇になっててこのまま『男役』としてちゃんと見えるようになるのかな?と余計な心配をしてしまった。苦笑



結局、
マックスは連邦準備銀行襲撃の件をヌードルスが密告したのを知っていたのか
デボラはどんな気持ちで、今は違う人物となっているマックスを支えていたのか
(本作では描かれてないけれど、オリジナルではマックスとの間に息子もいるし)
ヌードルスとマックスの間の友情とは一体何だったんだろうか
何故、ヌードルスはマックスの最後の願いを叶えなかったのか。
など、観た後に、お話の答えが出ているわけではなく、謎解きではないけれど、観る人によって解釈だったり、捉え方が違ってくるのが、面白い作品なのかもしれない。


例えば、2幕ラストでヌードルスがマックスを殺さなかったのは、ヌードルスにとっても親友はあの時の襲撃事件で死んだのだから、別人として生きているマックス(=べイリー長官)を殺すことができないということなのか。
それとも、やはりあの事件で、仲間を裏切った(=密告した)自分を責めて生きてきたのに、それすらも逆に騙されていたのだと知って、マックスを殺さないことによって復讐しているのか。
それとも、たとえ、今は汚職などの疑惑まみれになっているとはいえ、陽の当たる場所で成功したマックスを、ずっと陰に隠れて生きていたヌードルスが殺すことによって、ベイリーの疑惑(=マフィアとの繋がり)が立証されることを避けたいと考えたのか
など、あの場面だけでも、どういうことだったのかと考えあぐねてしまうし。


そう思うと、本当にこの作品は何度も観て、そのたびにいろいろな楽しみ方ができる作品なのかもしれません。

また、組子(生徒=タカラジェンヌの事)は文句なしにカッコいいですしね。

なんにしろ次回の観劇か今から楽しみ

 

ミュージカル『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』
Based on the motion picture Once Upon a Time in America (courtesy of New Regency Productions, Inc.) and the novel The Hoods written by Harry Grey.
脚本・演出/小池 修一郎

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