さて、ミュージカル『タイタニック』の観劇感想の続きです。
タイタニック号が氷山にぶつかったところで1幕は終わったので、2幕はどんな風に始まるのかと思って幕が上がるのを待ちました。
同じメロディの中で、混乱する船員たち、そして等級によって案内される内容の違う乗客たち。けっして重苦しい楽曲ではないのですが、どこか不安定に感じさせるメロディ状況が分からず不平を漏らす1等客と2等客の乗客たち。
楽曲のテンポが速くなればなるほど、状況がわかっているこちらはハラハラするのです。
そしてそれに続いて描かれる閉じ込められている3等客の乗客たち。
私はどう考えても3等室の客だわ。ただ、まさか、鍵をかけて閉じ込められるだなんて。
「諍い/The Blame」の前のアンドリュース(加藤和樹)とスミス船長(鈴木壮麻)の場面が想像以上にツライ。
誰が死んで、誰が生きるかあなたでも決めることはできない。
本当にね。その筈なのに。
そしてアンドリュースと船主のイスメイ(石川 禅)、スミス船長の 「諍い/The Blame」
3人の迫真の演技と歌声。
船の運命を知っている設計士。
運命を悟っている船長。
未だに現実を受け入れられない船主。
でも、沈んでいく船の上では、けっして醜い争いだけが起きているわけじゃない。
生き残るチャンスがあったのに乗客に席を譲った船員。(渡辺大輔・藤岡正明)
愛する人を救命ボートに乗せて、自分の運命を悟りながら男たちが唄う「また明日、きっと/We'll Meet Tomorrow」の美しいこと。(相葉裕樹)
そしてひとり生き残るより愛する人の元にいることを選んだストラウス夫人の強さと愛の深さ。この後のストラウス夫妻(安寿ミラ・佐山陽規)の「今でも/Still」は本当に素敵で1番好きな場面かもしれない。演じられているおふたりもとても素敵でこんな夫婦に憧れる。
スミス船長とアンドリュースが後悔と葛藤を自身に問いかけているのは「船長になるということは/To Be A Captain」と「アンドリュース氏の予見/Mr. Andrews' Vision」を観るだけで観ているこちらが苦しくなるくらいこちら側に十分に伝わってきました。
アンドリュースの歌だけで、最後に船が沈んでいく様を描いているのですが、ひとりだけなのにわかるのです。
そして唐突に音楽が止み、救命ボートに乗ったじゃたちの独白が始まる。
そこでは、まるで映画のエンドロールのようにキャストの背には、この事故の被害者たちの名前が書かれた幕が降ろされるのです。
プロローグと同じようにキャスト全員によって「いつの世も~征け、タイタニック/In Every Age~Godspeed, Titanic」が合唱されるのですが、最初は犠牲者に対する鎮魂歌だったものが、プロローグ同様 夢と希望に満ちている歌声表情に変わる中、ステージ中央のイスメイだけは眼に涙を溜めて歌っているのです。
そこで、ああ、これは裁判に向かうイスメイが過去を振り返っていたんだと思い出されるのです。
イスメイも自分の過ちに気付いていなかったはずはないのです。
大なり小なり人は誰しも過ちを犯さずには生きていられない。
でも、後悔することができるから、同じ過ちは犯すまいと努力する。
タイタニックの沈没事故を契機に船の安全が大きく見直されたように。
本作は群像劇なので、明確な主人公はいないのですが、それは人間誰しも主人公で誰しもアンサンブルであるからだろうと思いました。
また、演出家のトム・サザーランドの「着ている服が違うだけで、一等客も三等客も、中身は皆同じ一人の人間なのだ」という考えも素晴らしいと思いました。
だからこそのこの少人数での公演なんだろうと。
残念ながら既に千秋楽を迎えていますが、また再演があった際には是非もう1度観たいと思いました。(地元で公演したら通えるんだけど)
ミュージカル『タイタニック』
[劇作・脚本]ピーター・ストーン
[作詞・作曲]モーリー・イェストン
[演出]トム・サザーランド